自身の身体、心に対する気遣い
どうも、nimoです。
みなさんは普段、
自分の身体、心の状態
ってどの程度知ったり、わかったりしているでしょうか?
自分は、今日は心は元気でしたが、旅の疲れからか身体が悲鳴をあげていたので、
今日はたまに好きなことしつつ、日割とゆっくりと身体を休めることに専念してました。
最近、こんなツイートを見かけました。
病気して入院して思ったのは、「自分の身体を自分のものだと思うと命を縮める」で、それは他のことにも言えると思った。「自分の能力を自分のものだと思うと、能力の一部しか活かされない」だ。有用に使えるはずの能力も「自分のもの」と思うと丁寧に扱われない。
— 末次由紀 ちはやふる34巻3/13発売! (@yuyu2000_0908) 2017年3月9日
この体は自分のものだけど自分のものではないので、わかった気にならず「きみ、今日の調子はどうだい?」と丁寧に接していこうと今思ってることを習慣にするにはどうしたらいいだろう。熱を測ったり、体重を毎日測ったりするのも、身体に対する丁寧さの一部だよね。どうにか98歳まで生きたい。
— 末次由紀 ちはやふる34巻3/13発売! (@yuyu2000_0908) 2017年3月9日
この感覚は自分が心身に不調をきたしてから、
すごく感じるようになり、共感できました。
承RT) この感覚すごいわかるなー。バリバリやってた頃は、身体の声に耳を傾ける事なんてほとんどしてこなかった。多少の問題はあっても、それで日常生活に支障をきたしたり、停滞するなんてことがほぼなかったから。今は丁寧に心と身体に寄り添って、日々「調子はどんな感じ?」と聞いている。
— nimo🐟割と安定🐠5分間ブログ開始 (@nimo_wiz) 2017年3月13日
自分がバリバリにやっていた頃(主に大学生の中盤くらいかな~)は、
自分の身体、心の状態なんて、あまり考えたことはありませんでした。
日々、不規則な生活、暴飲暴食、心に余裕もなく、息抜きの時間もあまり意識しなかったり。
多少の問題はあっても、それで日常生活に支障をきたしたり、停滞するなんてことがほぼありませんでした。
「ちょっと太ったな~」「身体だるいな~」くらいのものでした。
一方、一度心身に不調をきたしてからは、
当たり前のことができない
なんてことがざらに起こるように。
なので、最近は、
自分の身体と心の状態をみて、「今自分は何をどの程度できるかな?」を把握すること
をとても大切にしています。
ふと気づいたときにでも良いので、
丁寧に心と身体に寄り添って、「調子はどんな感じ?」と聞いてみてると、
何か気づきが得られるかもしれません^^
身体と心の小さなサインに気づいてあげられれば、
日々の生活がよりよくなるかも?
ということで、
今日は"自身の身体、心に対する気遣い"について考えてみました。
ではでは~
(今日も、書くのに20分くらいかかった(笑)